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東京地方裁判所 昭和27年(ワ)3650号 判決

原告 藪田卓二 外一名

被告 国

訴訟代理人 横山茂晴 外二名

主文

被告は原告藪田卓二に対して金十万八千三百三十三円及び原告武田巖に対して金三万二千五百円並びに原告らに対してそれぞれ同金員に対する昭和二十二年一月一日から支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用のうち、原告藪田卓二と被告との間に生じた部分は三分しその一を同原告の負担とし、原告武田巖と被告との間に生じた部分はこれを二分しその一を同原告の負担とし、その余はすべて被告の負担とする。

事実

第一、原告らの申立及び主張

原告ら訴訟代理人は、「被告は原告藪田卓二に対して金五十万円及び原告武田巖に対して金十五万円並びに原告らに対してそれぞれ同金員に対する昭和二十二年一月一日から支払のすむまで年五分の割合による金員の支払をせよ。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言を求め、請求の原因及び被告の主張に対する答弁として次のとおり述べた。

一、原告藪田は昭和二十年十一月十八日中華民国漢口において漢口総領事中野勝次に対して中国中央儲備銀行券(以下「儲備銀行券」という。)二億円を漢口領事館員の生活費、在支那人の引揚救済費等にあてるため無利息で貸与した。そのとき作成された借用証には、返済期、返済方法及び儲備銀行券と日本円との換算率は原告藪田及び漢口領事館が引揚後政府の決定に一任する旨記載されていた。

又原告武田は同年同月十九日中華民国広東において特命全権公使田代重徳に対して中国法幣三十万元を広東領事館員の生活費、在支邦人の引揚救済費等にあてるため無利息で貸与した。そのとき作成された借用証には、内地帰還後公定相場により日本通貨をもつて返済すべき旨記載されていた。

二、日本の敗戦の結果在支邦人は官民を問わずすべて内地に引き揚げることとなつたが、中華民国にあつて在外公館に対して内地から送金の途が絶えたので、これら在外公館は館員の生活費、在留邦人の引揚救済費等に窮するに至つた。そこで、外務大臣は昭和二十年九月七日在外公館に宛てて「在外邦人引揚経費に関する件」という訓電(以下「本件訓電」という。)を発し、在留民の処置に要する経費は結局その大部分を国庫において負担するほかないが、これに要する予算の計上が因難であるのみならず送金も不可能の情況にあるから、差し当り現地において便宜の方法で支弁し後日これを整理することとするから、できる限り証拠書類を整備し保存すべきことを指示した。

本件訓電の前段において在外邦人引揚経費の大部分は国庫において負担するほかないといつている点からみれば、ここにいう「予算の計上の困難」とは外地との連絡が絶え在外邦人引揚経費の見積等が困難であるため今直ちに予算措置をとり得ないことを意味するに過ぎず、又「後日整理する」とは現地において便宜支弁しておいたものを後日適法に手続上の整理をして支払うことを意味するのであつて、証拠書類の整備保存を命じたのは後日の完全な弁済に備えるためである。従つて、本件訓電は在外公館に対して在留邦人から在外公館員の生活、在留邦人の救済費等を借り入れる権限を授与したものであり、中野総領事及び田代公使はこの訓電に基いて原告らから本件の借入をしたのである。

三、本件借入金については、原告らと中野総領事及び田代公使との間に、換算率及び返済期について、貸借当時現地で通用していた交換率より低くない率によつて日本円で返済することとし、その具体的金額の決定は日本政府の合理的裁量に一任し、原告ら及び貸与した在外公館が内地に帰還した後遅滞なく支払うという約束ができていたのであつて、原告藪田に対する借用証にある「換算率等は引揚後政府の決定に一任する」という文言も、原告武田に対する借用証にある「内地帰還後公定相場により」という文言もこの趣旨を表わすものである。

儲備銀行券は汪政権が発行し日本政府もその価値の維持を計つていたもので、儲備銀行券の発行当時における日本円との公定交換率は、儲備銀行券百円に対して日本円十八円の割合であつたが、終戦前後には物価の騰貴及び儲備銀行券の信用下落のために中南支において実際の取引では儲備銀行券四百円に対して日本円一円の割合の交換率が通用していた。このことは、昭和二十年三月頃から同年末頃まで儲備銀行券によつて中南支から日本内地へ送金するには三万円以下の送金を除いて日本円表示の金額を公定交換率によつて換算した儲備銀行券表示の金額の七十倍の調整料を支払うという制度が採用され、結局内地において日本円一円を受け取るためには中南支において儲備銀行券三百九十五円四十七銭を為替銀行に払い込むことが必要であつたことからもうかがうことができる。そして、終戦後中華民国国民政府は法幣を法定通貨としたが、同時に儲備銀行券の流通も承認し、その二百円を法幣一元と交換する布告を発したので、当時中南支において法幣二元に対し日本円一円の割合の交換率が通用していた。従つて中野総領事及び田代公使が原告らとの間に結んだ換算率に関する約束を具体的にいえば、儲備銀行券四百円又は法幣二元に対して日本円一円の割合の交換率より低くない換算率で返済することを約したことになる。

そして原告藪田は昭和二十一年六月十三日、漢口領事館は同年七月二十日又は原告武田及び田代公使は同年四月二十五日頃それぞれ内地に帰還したから、被告は遅くとも昭和二十二年一月一日には履行遅滞の状態にあつたものということができる。

なお、原告藪田からの借入金は昭和二十六年三月十日、原告武田からの借入金は昭和二十五年十二月十六日いずれも外務大臣から在外公館等借入金確認証書によつて在外公館等借入金整理準備審査会法(以下「審査会法」という。)第一条所定の借入金であることが確認された。

よつて、被告は原告藪田に対してその借入金を前記換算率によつて日本円に換算した金五十万円及び原告武田に対してその借入金を前記換算率によつて日本円に換算した金十五万円並びに原告らに対してそれぞれ同金員に対する昭和二十二年一月一日から支払のすむまで民事法定利率である年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があるから、原告らは被告に対してその支払を求める。

四、本件貸借が旧憲法第六十二条第三項に違反するとの抗弁は否認する。

(一)  旧憲法のこの規定は議会と政府との間の内部関係を規律するものに過ぎないから、取引の安全の原則からいつて被告と第三者との間に成立した契約の私法上の効力を左右するものではない。のみならず、旧憲法には第七十条の緊急勅令の制度があつたことからみても、日本政府の財政上の支出にとつて帝国議会の協賛が絶対に必要な要件ではなく、日本政府は緊急を要する支出について財政上応急の措置をとり得たはずである。本件貸借は、内地との連絡が絶え内地からの送金が不可能となつた元の敵国にあつて生命身体の危険にさらされていた在外公館員及び在留邦人の危急を救うために在外公館が原告らにとつて極めて貴重な所持金を半ば強制的に借り入れたものであるから、原告らは政府がいかなる手続上の措置をとつていたか知らなかつたし、又これを知ることができない状況にあつたのみならず、むしろ手続上万全の措置がとられたことを信じて貸与したものである。又被告は本件貸借が行政費の調達を目的とするから取引の安全を云々する余地がないと主張するが、前記のような非常事態において在外公館が在留邦人に懇請して借り入れたものであるから、通常の行政費の調達とは趣を異にするのである。

(二)  仮に本件貸借が旧憲法第六十二条第三項に違反する手続上のかしがあるとしても、前記のような事情の下にされた本件貸借について、今日に至つてこのかしを主張することは、民法第一条の信義誠実の原則からみても、禁反言の原則からみても、許されないところである。

五、本件訓電の趣旨及び本件貸借の内容に関する被告の主張はすべて誤りである。

(一)  本件訓電の趣旨に関する被告の主張は、外務大臣が当初から支払を打ち切る意思で訓電し、在外公館がその意思を体して借り入れたとするに等しいものであつて、明らかに誤りである。

(二)  終戦後在支邦人にとつて所持金は唯一の生活の糧であり貴重なものであつたが、原告らは中野総領事又は田代公使から本件訓電に基き貸与を懇請されてやむなく貴重な所持金を割いて貸与するに至つたのであるから、原告らは被告主張のように日本政府に対して無条件に返済額の裁量を委せるはずがない。

六、在外公館等借入金の返済の実施に関する法律(以下「実施法」という。)第四条及び別表は妥当性を欠くにとゞまらず、憲法に違反する無効の法律であるから、原告らの被告に対する本件借入金債権の内容がこの法律によつて、左右されるいわれがない。

(一)  被告主張の民法第四百三条の規定は履行時に為替相場のある場合に関する規定であつて、儲備銀行券及び法幣のように履行時に為替相場がない場合には適用する余地がない。又貸借当時と履行時との間にその交換率が当事者の予想しなかつた事情のために著しく変動した場合には、事情変更の原則からいつて適用すべきではないから、いずれにしても民法第四百三条は本件貸借に適用がないと解すべきである。

仮に被告主張のように民法第四百三条が本件貸借に適用され、為替相場に代る換算率として現地と東京との米価の比率を採用すべきものとすれば、中南支における借入の最も多かつた昭和二十一年二、三月頃の現地における米価と被告が実施法を施行して現実に在外公館等借入金を返済し得るに至つた昭和二十七年三月三十一日当時の東京における米価とを比較して換算率を決定しなければならないのに、実施法別表の換算率は昭和二十一年二、三月頃の現地と東京との米価の比較に基いて作成されたものであるから、単に不合理というに止まらず、民法第四百三条にも違反している。のみならず、昭和二十一年三月から昭和二十七年三月までの間に米の小売公定価格は約三十一倍に騰貴しているから、実施法別表の換算率によつて算出される金額の百分の百三十に相当する金額を返済するとしても、この金額は貸借当時に比較して二十四分の一の実質価値を有するに過ぎない。従つて、被告がこのような少額の弁済によつて借入金債務を免れようとすることは民法第一条の信義誠実の原則に反しており、しかもこの原則は法律全体を貫く大原則として憲法第十二条第十三条に照応するものであるから、実施法第四条及び別表は憲法のこれらの規定の精神にも反する違憲立法といわなければならない。

(二)  前記のように本件貸借は儲備銀行券四百円又は法幣二元に対し日本円一円という当時通用の交換率より低くない率で日本円に換算して支払う約束であつたにもかかわらず、実施法第四条及び別表は儲備銀行券二千四百円又は法幣十二元を日本円一円にそれぞれ換算した金額の百分の百三十に相当する金額を返済することとし、しかも同一人に対する返済額を五万円に制限している。このように契約当事者である被告が原告らとの約束を無視して一方的に不合理な換算率を定め、かつ返済額を五万円に制限することは、財産権の不可侵を保障する憲法第二十九条第一項に違反して原告らの貸金債権を侵害することになるから、実施法第四条及び別表は憲法のこの規定に違反する無効な法律である。

(三)  憲法第二十九条第二項は法律をもつてある財産権を設定しその内容を決定する場合には公共の福祉に適合するようにすべきことを定めたものであるから、すでに発生しその内容の定まつている財産権を公共の福祉を理由として制限することは許されない。このことは法律不遡求の原則からみても、又憲法第二十九条第三項において私有財産は正当な補償の下においてのみ公共のために用いることができると規定していることからみても明らかである。

(四)  被告主張の戦時補償特別措置法は今次大戦の遂行に直接関連して発生した日本政府の債務に関する立法である。これに反し、本件借入金債権は戦争終了後在外公館員の生活費等にあてるためにされた私法上の消費貸借契約から発生した債権であつて、一私人に対する貸金債権と異るところはないから、被告が憲法第二十九条第二項に基き、国民負担の公平及び国家財政を理由として一方的に債務を免れる法律を制定することが許されないことは明白である。のみならず、五万円以上の支払を要する在外公館等借入金は約二千二百件であり、これを五万円以下に制限することによる予算の節約額は約四億四千万円に過ぎないから、国家財政の現状からみれば、この借入金を無制限に支払うとしても国家財政にほとんど影響を及ぼさない。かえつて国家財政を理由として債務の履行に応じない被告こそ公共の福祉に反するものというべきである。

仮に憲法第二十九条第二項に基いて私人の被告に対する私法上の権利を制限することが許されるとしても、この規定は財産権の内容が社会公共の利益に適合すべきことを要求する私権社会化の法思想を具体化したものであることに照し、憲法第二十九条第一項及び第三項の趣旨をも併せて考えるならば、公共の福祉のためには財産権の使用収益処分の権能の一部又は一時の停止が許されるに過ぎず、その範囲をこえて権利を奪い又は奪うに類する法律を制定することは許されないと解すべきである。実施法第四条及び別表は在外公館等借入金の債務額をほしいままに減額し、且つ、五万円以上の弁済はしないとする法律であるから、憲法第二十九条第二項に適合する合憲の法律ということはできない。

又仮に国家財政上の負担を軽減するために被告に対する私法上の権利の内容に制限を加え得るとすれば、被告の負担するすべての債務に対して一様に制限を加えるべきであるにもかかわらず、実施法第四条及び別表は在外邦人に対する在外公館等借入金債務についてのみ不利益な取扱をしているから、国民の法の下における平等を保障する憲法第十四条第一項にも違反する。

なお、被告は内地に居住していた者と外地からの引揚者とを比較して国民負担の公平を論ずるが、内地における戦災者の多くは財産の一部を失つたに過ぎず、全財産を失つた者も働く地盤を失わなかつたのに対し、引揚者は財産のすべてを失い身をもつて逃げ帰つた最大の犠牲者である。両者は戦争による被害の程度が異るだけでなく、内地の非戦災者に課せられた少額の非戦災者特別税と実施法によつて在外公館等借入金を数分の一に切り下げた措置とは比較にならないから、被告の主張は国民負担の公平に名を借りた暴論である。

(五)  被告は在外公館等借入金が在外邦人の引揚費用に使用されたから在外邦人の共益費用としてその負担に帰すべき性質のものであると主張するが、本件貸借は本来被告が支出すべき在外公館の経費にあてることを主たる目的としてされたものである。その一部が在外邦人の引揚救済費に使用されたとしても、在外邦人の保護は当然被告のなすべき事務であるから、在外邦人が引き揚げるための費用及び引き揚げるまでの生活費は被告が当然負担すべき性質のものである。本件訓電もこのことを前提として発せられたものであつて、在外公館等借入金の一部が在外邦人のために使用されたことは、被告がこの借入金債務の弁済を打ち切る理由とはならないのである。

第二、被告の申立及び主張

被告指定代理人は、「原告らの請求を棄却する。」との判決を求め、答弁及び抗弁として次のとおり述べた。

一、漢口総領事中野勝次が原告ら主張の日に中華民国漢口において原告藪田から原告ら主張のとおり儲備銀行券二億円を借り入れたこと、特命全権公使田代重徳が原告ら主張の日に中華民国広東において原告武田から原告ら主張のとおり法幣三十万元を借り入れたこと、本件貸借に当り作成された借用証にはいずれも原告ら主張のとおりの記載があること、外務大臣が原告ら主張の日にその主張のとおりの訓電を発したこと、中野総領事及び田代公使がこの訓電に基いて原告らから本件借入をしたものであること、儲備銀行券の発行当時における日本円との公定交換率が原告ら主張のとおりであつたこと、昭和二十年中に儲備銀行券による中南支から日本内地への送金について七十倍の調整料の支払を必要とする制度が採用されたこと、終戦後国民政府が法幣を法定通貨としたこと、同政府が儲備銀行券の流通を承認し、その二百円を法幣一元とする交換率を採用したこと、原告ら、漢口領事館及び田代公使が内地に帰還したこと、漢口領事館が内地に帰還した日が昭和二十一年七月二十日であること及び原告らがそれぞれその主張の日に外務大臣からその主張のとおりの借入金であることの確認を受けたことは認めるが、原告らが内地に帰還した日は知らない。中野総領事は同年四月三日、又田代公使は同年同月七日それぞれ内地に帰還したのである。その他の原告ら主張の事実はすべて否認する。

二、本件貸借の趣旨は、本件訓電及び貸借契約の内容からみて次のとおりである。

(一)  本件訓電は在留民の処置に必要な費用は在留民に負担させるべきであるが、実際には国庫が大部分負担するほかないとしても、予め正規の手続をとつて在外公館に支出権限を与え得ないから、後日整理することを前提として便宜な方法で支弁すべきことを命じたものである。「後日整理する」とは事態の安定をまつて正規の手続をとり国庫の負担能力の限度内で相当額を返済することを意味し、決して在外公館に借入の権限を与える趣旨のものではない。本件訓電が発せられたときは、日本の将来を予想し得ない終戦直後の混乱時であり、被告が予算措置をとり得ない状態であつたから、在外邦人からの借入金について被告が確定債務を負担する意思であつたとみることはできない。

(二)  そして原告らからの借入金はいずれも借用証記載のとおりの約定で行われ、それ以外には何らの約束もなかつた。当時中華民国において日本円の流通は禁止され、内地への送金は認められていなかつたので、儲備銀行券及び法幣と日本円との交換率があるはずはない。従つて、原告藪田に対する借用証には返済の条件を日本政府の決定に一任するものとされており、又原告武田に対する借用証にある公定相場とは、日本政府の定める相場の意味にほかならない。

原告ら主張の調整料制度は昭和二十年八月十三日から中南支において実施されたもので、儲備銀行券による日本内地への送金額を一月五十万円以下に制限し送金手取額の七十倍の調整料を為替銀行を経て外資金庫に納入させる制度であつたが、終戦と同時に内地への送金ができなくなつたので、ほとんど利用されずに終つたものである。従つて、これに基いて本件貸借の換算率を定めることは合理的でなく、貸借の当事者がこの率によつて返済することを約するはずもない。

(三)  以上のような本件訓電の趣旨と本件貸借の約定とを総合して考えると、本件借入金はいずれも内容の確定しない債務であつて、後日日本政府の決定する金額を返済すべき特約の付された債務というべきである。

三、のみならず、本件貸借は旧憲法第六十二条第三項に違反するから無効である。すなわち、外務大臣が本件訓電を発し在外公館がこれに基いて本件借入をするに当つては、その返済に要する費用が予算に計上されていなかつたし、予算外国庫の負担となるべき契約としても帝国議会の協賛を経ていなかつたので、在外公館には本件借入をする権限がなかつたのである。旧憲法のこの規定は議会と政府との内部関係を規律するものであるから取引安全の見地からいつて被告と第三者との間に成立した契約の私法上の効力を左右しないとする見解は、物品の購入のごとき通常の取引については妥当であるとしても、本件貸借には適切でない。けだし、本件貸借は在外公館の諸経費、在留邦人の引揚費用等の行政費の調達を目的としてされたものであり、原告らはこの点を十分承知していたのみならず、予算措置がとられていないことを知り又は知り得べき状況にあつたから、取引の安全を理由として本件貸借を有効ということはできないのである。

四、このように、本件貸借は無効であつて被告に借入金返還の義務はないが、被告は政治的考慮に基き、前記審査会法、在外公館等借入金の返済の準備に関する法律(以下「準備法」という。)、実施法その他の法令を制定施行して支払の手続及び金額を定めたのであつて、実施法第四条及び別表によると、中南支における在外公館等借入金については儲備銀行券二千四百円又は法幣十二元をそれぞれ日本通貨一円に換算した金額の百分の百三十に相当する金額を返済することとし、同一人について計算した金額の合計額が五万円をこえるときは五万円に制限することに定められている。これによつて原告らからの借入金の返済額を計算すると、被告は原告藪田に対して金五万円を、又原告武田に対して金三万二千五百円を返済すれば足りるから、原告らの本訴請求のうちこれをこえる部分は失当である。

五、仮に原告ら主張のように、被告が原告藪田に対して金五十万円の債務を、又原告武田に対して金十五万円の債務を負うていたとしても、これらの債務は実施法第四条及び別表の定めるところによりそれぞれ金五万円と金三万二千五百円に減額されたものであつて、しかも実施法のこの規定及び別表は次の理由で合憲の法律であるから、被告は原告らに対してこの限度で支払義務を負うに過ぎず、原告らの本訴請求のうちこれをこえる部分は失当である。

六、原告らは実施法第四条及び別表が憲法第二十九条第一項等に違反して無効であると主張するが、この法律は同条第二項に適合する合憲の法律である。

(一)  本件借入金は外国通貨をもつて債権額を表示されているから特約がない以上民法第四百三条に従い現実に返済するときの為替相場によつて日本通貨で弁済することができる。そして儲備銀行券及び法幣はいずれも現在流通していないから、為替相場に代るものとして中華民国における通貨改革の変遷をたどつて本邦通貨との換算率を定めるべきであるが、この方法によつて原告らからの借入金を日本円に換算すると、原告藪田から借り入れた儲備銀行券二億円は金六百円に、又原告武田から借り入れた法幣三十万元は金九円にしか当らないことになる。しかし、これでは借入金の提供者に対して酷に過ぎるから、日本政府はより合理的で実情に即した方法として、現地と内地との物価の比較によつて換算率を定めることにした。しかしながら、借り入れた外貨の種類が多く借入時期も区々である上に、外地の物価を算出する資料が極めて乏しかつたので、借入の最も多かつた時期における当該通貨の流通地域の主要都市と東京との米価の比較によつて換算率を決定する方法を採用して実施法別表が作成されたのである。従つて、この措置は法律的にみても経済的にみても妥当である。

(二)  在外公館等借入金は敗戦の結果内地と外地との連絡が絶え外地に対する送金が不可能となつたので、在外公館の経費と在外邦人の引揚救済の費用に当てるために借り入れられたものであるから、終戦後の債務であるとはいえ、今次大戦に直接関連して日本政府が負担した債務の一種である。そして日本政府又はこれに準ずるものが今次大戦に直接関聯して負担した債務については、一般に戦時補償特別措置法等によつて実質上打切の措置がとられているのに反し、在外公館等借入金は同法の適用を受けなかつたから、別途にこれを整理する措置をとることは当然であつて、もし何らの措置をとらないとすれば国民の負担の公平を失することになる。

又内地にあつた者は戦災を受け或いは国民負担の公平を計る見地から非戦災者特別税を課せられた。一方在外邦人の大部分はほとんど全財産を失つて帰国し、しかも連合国最高司令官の命令によつて一千円をこえる現金の持帰りを禁止されたのに反し、日本政府に対して在外公館等借入金債権を有する者は、実質上在外資産の一部を持ち帰つたのと同じである。従つて、全財産を失つて帰国した引揚者との負担の公平及び国家財政の現状を考えると、これらの借入金の返済額を制限することは憲法第二十九条第二項にいう公共の福祉のためにやむを得ない措置である。

(三)  本件借入金がいずれも在外公館の経費にあてることを主たる目的として借り入れられたことは原告ら主張のとおりであるが、在外公館等借入金は一般に在外邦人の引揚のために使用されたから、提供者をも含めた在外邦人の共益費用としての性質をもつものであつて、道義的には本来受益者である在外邦人がみずから負担すべきものである。従つて、在外公館が借り入れたという形式面をみて、被告が無制限に弁済し一般国民にその負担を転稼することは許されないから、法律によつてその性質に応じた規制を加えるのが妥当である。ことに在外公館の借入金を邦人自治団体又はこれに準ずる団体の借入金と対比すれば、前者に対してのみ被告が全額の支払義務を負い、これと実質を同じくする後者を放置して顧みないことは不当であるから、審査会法及び実施法が両者に対して同一の規制を加えたことは憲法第二十九条第二項からみて当然の措置である。

(四)  憲法第二十九条第二項は公共の福祉に適合する限り既存の財産権をも制限することを認めたものであるから、この点に関する原告らの主張は誤つている。

又は敗戦の結果自国民が占領地から引き揚げる費用を元の占領国が負担するということは前例もなく国際慣行にもなく、かえつて中華民国国民政府はその責任において在留邦人の引揚を完了させる方針をとつたのであるから、被告が在支邦人の引揚費用を負担すべきものであるという原告らの主張は失当である。

〈証拠省略〉

理由

一、原告藪田が昭和二十年十一月十八日中華民国漢口において漢口総領事中野勝次に対して儲備銀行券二億円を漢口領事館員の生活費、在支邦人の引揚救済費等にあてるため無利息で貸与したこと、そのとき作成された借用証には返済期、返済方法及び儲備銀行券と日本円との換算率は原告藪田及び漢口領事館が引揚後政府の決定に一任する旨記載されていること、原告武田が同年同月十九日中華民国広東において特命全権公使田代重徳に対して中国法幣三十万元を広東領事館員の生活費、在支邦人の引揚救済費等にあてるため無利息で貸与したこと、そのとき作成された借用証には内地帰還後公定相場により日本通貨をもつて返済すべき旨記載されていること、本件借入金がいずれも在外公館の経費にあてることを主たる目的として借り入れられたこと、外務大臣が同年九月七日在外公館にあてて「在外邦人引揚経費に関する件」という訓電を発し、在留民の処置に要する経費は結局その大部分を国庫において負担するほかないが、これに要する予算の計上が困難であるのみならず、送金も不可能の情況にあるから、差し当り現地において便宜の方法で支弁し後日これを整理することとするから、できる限り証拠書類を整備し保存すべきことを指示したこと、中野総領事及び田代公使がこの訓電に基いて原告から本件借入をしたものであること、儲備銀行券の発行当時における日本円との公定交換率が儲備銀行券百円に対して日本円十八円の割合であつたこと、昭和二十年中に儲備銀行券による中南支から日本内地への送金について七十倍の調整料の支払を必要とする制度が採用されたこと、終戦後国民政府が法幣を法定通貨としたこと、同政府が儲備銀行券の流通を承認し、その二百円を法幣一元とする交換率を採用したこと、原告ら、漢口領事館及び田代公使が内地に帰還したこと、漢口領事館が内地に帰還した日が昭和二十一年七月二十日であること、及び原告藪田からの借入金が昭和二十六年三月十日、原告武田からの借入金が昭和二十五年十二月十六日いずれも外務大臣から在外公館等借入金確認証書によつて審査会法第一条所定の借入金であることを確認されたことはいずれも当事者間に争がない。

二、そこで、まず中野総領事及び田代公使が被告から本件借入をする権限を授与されていたかどうかについて判断する。

(一)  在外公館にあてて発せられた本件訓電が各在外公館の長に対して在留邦人から在外邦人引揚経費を借り入れる権限を授与したものであるかどうかは、その文言のみからは必ずしも明確ではない。しかしながら、もと中華民国にあつた在外公館が日本の敗戦によつてその地位を失い、その館員も一般在留邦人とともに引き揚げるほかなくなつたことは公知の事実である。又終戦後これらの在外公館が内地との連絡をとり難くなり内地から送金を受けることも不可能となつたために在外公館の経費特に館員の生活費に窮したこと及び在留邦人が奥地から避難し或いは収入の途を失つたために多くの生活困窮者を生じたことは、証人石原勇、大国彰、高岡光男、林茂、猿渡孝及び中野勝次の各証言並びに原告藪田卓二及び原告武田巖各本人尋問の結果によつて認めることができる。本件訓電は「在外邦人引揚経費」といつているが、中華民国において引き揚げる必要のあつたのは一般在外邦人のみに限らず在外公館員も同様であつたわけであるから、在外邦人の中に在外公館員が含まれる趣旨であることは当然である。しかも引揚までの生活費その他の経費を必要とする点において両者に差異がなかつたのであるから、政府が少くとも在外公館員について引揚までの生活費の面倒をみる責任を負うている以上、日本政府は本件訓電によつて在外公館員を含む在留邦人の引揚経費を現地において借入等の方法で調達する権限を授与したものと解するのが相当である。この解釈が本件訓電の起案者の意思にも合致することは、証人長岡伊八の証言によつて明らかである。

(二)  被告は本件訓電中にある「予算の計上が困難である」及び「後日これを整理する」という文言をとらえて、本件訓電が在外公館に借入権限を与えたものではないと主張する。しかしながら、証人長岡伊八の証言によれば、この訓電の起案者としては、予算の計上の困難とは外地からの情報が入手できず引揚期間も不明であつたから予算の支出額の確定が困難であつたことを意味し、後日整理することは現地でした予算の流用及び借入等の方法による資金の調達について議会の事後承認を得ることを意味すると考えていたことが認められ、前記のような当時の客観的情勢の下においては、このように解するのが自然な解釈であるというべきであろう。

三、被告は在外公館が本件借入をするに当つては、その返済に要する費用が予算に計上されていなかつたし、予算外国庫の負担となるべき契約としても帝国議会の協賛を経ていなかつたからその借入は旧憲法第六十二条第三項に違反し無効であると抗争するので、次にこの点について考察する。

(一)  予算外国庫の負担となるべき契約(以下「予算外国庫負担契約」という。)は通常次年度以降にわたり国に債務を生ずべき私法上の契約として現われるが、国の負担金額が確定しないため又は義務の発生が停止条件付であるため当該年度の予算に計上されない契約をも包含する。本件借入金は在外公館員の生活費、在支邦人の引揚救済費等にあてるためにされたものであり、証人石原勇、大国彰及び中野勝次の各証言によれば、原告藪田からの借入金は主として昭和二十年十一月以降の公館員の在勤手当、生活費、集結費等に使用されたことが認められ、又証人田代重徳、戸根木長之助、林茂及び猿渡孝の各証言によれば、原告武田からの借入金は主として公館員の生活費、戦犯容疑者に対する差入費に使用されたことが認められる。そして在外公館員の生活費としての支出は給与の支出に代るものであり、館員の給与その他在外公館の経常経費は昭和二十年度の予算に計上されていたものと推定されるから、本件借入金のうち在外公館の経常経費にあてられた部分は、予算には計上されているがその送金が不可能であつたため現地における支払資金の不足を補う目的で借り入れられたものといわなければならない。次に公館員の集結費、戦犯容疑者に対する差入費等在外公館の臨時的経費及び在留邦人の引揚救済費が同年度の予算に計上されていなかつたことは、原本の存在及び成立について当事者間に争のない甲第五号証及び弁論の全趣旨によつて明らかであるから、本件借入金のうちこれらの費用にあてられた部分は予算外国庫負担契約であつて、旧憲法第六十二条第三項の規定により帝国議会の協賛を経なければならないものである。ところが、この部分の借入について帝国議会の協賛を経なかつたことは、原告の明かに争わないところであるから、少くともこの部分に関する限り本件借入は違法であるというべきである。

(二)  しかしながら、被告の主張するように違法即ち無効と断ずることは早計のそしりを免れない国家がこれと対等の地位にある第三者と私法上の取引をした場合には、この取引に対して民法の取引法上の原則が適用されることは、当然の事理である。この理は、国家が物品を購入する場合であろうと、行政費調達のための借入をする場合であろうと、なんら異るところはない。原告らは日本国民であるけれども、被告との間に本件の貸借をするに当つては、被告と対等の地位にあつたものというべきである。そして、本件貸借は一般の私法上の取引と同視してなんら支障がないのである。ところで、在外公館長が法律の定める範囲において一定の事項につき国家を代表する権限を有していたことは、疑をいれない。そうすると、本件において中野総領事及び田代公使が帝国議会の協賛なしに本件借入をしたことは、代理人がその権限を越えて権限外の行為をした場合に該当するものとして民法第百十条の適用を受けるものと解するのが相当である。(大審院昭和十六年二月二十八日判決民集二十巻二百六十四頁参照)

被告は原告らが予算措置のとられていないことを知り又は知り得べき状況にあつたと主張し、本件訓電に予算の計上が困難である旨記載されていることは前記のとおりである。しかしながら、旧憲法第七十条によれば、政府は公共の安全を保持するため緊急の需用がある場合において内外の情形により帝国議会を召集することができないときは財政上必要な処分をすることができるのであつて、この規定に基き緊急勅令を発した場合には、政府は適法に予算外国庫負担契約を結ぶことができるのである。従つて、原告らが本件訓電により予算の計上が困難であることを知つたからといつて、直ちに本件借入が違法であることを知り又は知り得べきであつたとすることはできない。

本件貸借は終戦後わが国未曽有の混乱時において行われたものであり、内地と全く連絡を絶たれた異国の地においてとり結ばれたものである。原告らが内地の様子がどうなつているか知る由もなかつたことはいうまでもない。このような状況の下に外務大臣の訓電の趣旨を説明され金員の貸与を要請された原告らとしては政府が適法な手続をとつた上でこの挙に出たものと信じたであろうことは容易に推察し得るところであつて、後日に至つて政府からこの借入を違法呼ばわりされることを夢想だにしなかつたであろうことは、想像に難くない。してみれば原告らが在外公館に借入の権限があると信じたについては正当の理由があるものと断ずることができる。

(三)  従つて、被告としては中野総領事及び田代公使が原告らとの間に結んだ本件貸借についてその責に任じなければならないのであつて、被告は原告らに対して本件借入金を返還する義務を負うものといわなければならない。そうすると、審査会法第一条による在外公館等借入金の確認は、本件訓電に基いてされた借入金に関しては、全く確認的意義を有するに過ぎないことになるが、被告としては借入当時から被告の債務であつた在外公館等借入金についても、貸与者、借り入れた公館、借り入れた現地通貨表示の金額等を確定しなければ予算措置をとつて弁済することができないから、この確認手続も手続上の意義を有するわけである。

四、よつて、次に本件借入金の換算率に関する約定について考察する。

(一)  原告らは中野総領事及び田代公使との間に本件借入金の換算率について儲備銀行券四百円又は法幣二元に対して日本円一円の割合という貸借当時現地で通用していた交換率より低くない率によつて日本円に換算して返還することとし、その具体的金額の決定は日本政府の合理的裁量に一任するという約束ができていたと主張するけれども、成立に争のない甲第二十二号証、証人大国彰、酒寄発五郎、高岡光男、橋田亀造の各証言、証人石原勇の証言の一部と前記当事者間に争のない事実とを総合すると、次の事実が認められる。

終戦前儲備銀行券と日本円との公定交換率は十八円対百円とされていたが、実際には前者の価値は次第に下落していた。それで、儲備銀行券による中南支から内地への送金について昭和二十年八月十三日から日本円の表示の金額を公定交換率によつて換算した儲備銀行券表示の金額の七十倍の調整料を為替銀行を経て外資金庫に納入する送金方法が採用された。この方法によつて日本内地で一円を受領するには儲備銀行券三百九十四円四十四銭を払い込む必要がある。この送金方法は当時の中南支における日本円と儲備銀行券との実勢に従つたものであり、その頃中南支においては儲備銀行券四百円に対して日本円一円という交換率が通用していた。ところが、中南支において内地への送金は遅くとも同年九月中には不可能となり、日本円の事実上の流通も禁止され、儲備銀行券及び法幣と日本円とを交換する方法は全くなくなつた。儲備銀行券と日本円との前記交換比率は終戦後約一ケ月続いたが、その後儲備銀行券の価値は急速に下落した。蒋政権が儲備銀行券二百円に対して法幣一元の換算率を採用した結果昭和二十年十一月頃には儲備銀行券と法幣とはこの比率によつて交換が行われていたが、当時日本円と儲備銀行券及び法幣との交換比率については、交換も行われなかつたので、不明の状態になつてしまつた。

このように本件借入のされた昭和二十年十一月当時においては、儲備銀行券の価値は終戦時よりはるかに下落したのみならず、儲備銀行券及び法幣と日本円との交換率はすでに不明になつていたのであつて、その上成立に争のない甲第一号証に原告の主張するような約定の記載がないことと証人大国彰及び中野勝次の各証言及び原告藪田卓二本人尋問の結果によると、原告藪田と同原告から借入の衝に当つた漢口領事館員との間には換算率について明確な約束が結ばれなかつたことが認められ、又原告武田巖からの借入金についても証人戸根木長之助、林茂及び猿渡孝の各証言及び原告武田巖本人尋問の結果によるとこれと同様に換算率をいくらかにするかという明確な話合がなかつたことが明白である。

証人石原勇の証言中には原告藪田からの借入金について原告ら主張のとおりの約定があつた旨の供述があるが、とうてい信用することができない。

してみると、換算率の約定に関する原告らの主張は根拠のないことになるわけであつて、換算率をどのように定めるかは借用証記載の文言を合理的に解釈して決するよりほかにない。

(二)  そこで、原告藪田との貸借における「儲備銀行券と日本円との換算率は政府の決定に一任する」旨の文言及び原告武田との貸借における「公定相場により日本通貨をもつて返済する」旨の文言について考えてみると、被告はこれらの約束が全く日本政府の決定に一任する趣旨であつたかのごとき主張をしているが、原告らから借り入れられた儲備銀行券及び法幣は当時中華民国において通用していた貨幣である。原告らがこれらの貨幣によつて日本に送金することは不可能であり、持帰りを許される金額に制限があつたとはいえ、これを貸与せずに持つておれば引揚までの期間において当然他の用途に使うことができたのであるから、原告らが換算率ないし返済額の決定を日本政府に全く一任する意思であつたとみることは、原告らがその価値を極めて低く評価していたこととなつて不合理であり、その他被告主張のように解する根拠となる特段の事情も認められない。してみれば、換算率に関する前記の文言は日本政府が儲備銀行券及び法幣と日本通貨との貨幣価値の比較に基いて合理的に決定する換算率によつて返済するという意味に解するのが妥当であろう。

五、さらに、弁済期の約定について考察する。

(一)  原告藪田に対する借用証には「返済期は政府の決定に一任する」旨の記載があるけれども、証人石原勇、中野勝次、大国彰の各証言及び原告藪田卓二本人尋問の結果によれば、同原告と中野総領事との間には当事者が帰国したらなるべく早く支払うよう努力するという口頭の約束があつたことが認められる。又原告武田に対する借用証には「内地帰還後返済する」旨の記載があつて、証人田代重徳、猿渡孝の各証言及び原告武田巖本人尋問の結果によると、同原告と田代公使との間にはこれ以外に返済期について特段の合意がされなかつたことが明らかである。この事実とさきに認定した換算率の約定とを考えあわせると、本件借入金の返済期はいずれも貸借の当事者が帰国して被告に借入の事実を報告した後被告が換算率を決定するに必要な期間を経過したときに到来するものと解するのが妥当である。

(二)  中野勝次が昭和二十一年四月三日帰国したことは同証人の証言により、原告藪田が同年六月十五日帰国したことは同原告本人の供述により、田代重徳が同年四月上旬帰国したことは同証人の証言により、又原告武田が同年四月七日帰国したことは同原告本人の供述によりそれぞれ認められ、原告ら及び借り入れた在外公館の幹部が帰国後直ちに本件借入金を外務省に報告しその返済を請求したことは原告本人藪田の供述及び弁論の全趣旨によつて明らかである。そして成立に争のない乙第一号証、同第二号証の一によると、在外公館等借入金評価審議会に対する大蔵大臣の諮問と審議会の大蔵大臣に対する答申との間に約四ケ月を要したことが認められるから、被告は遅くとも昭和二十一年十二月末日には本件借入金の換算率を決定することが可能であつたということができる。従つて本件借入金の弁済期はこの時期に既に到来したものといわなければならない。

六、そこで次に被告が実施法第四条及び別表において決定した換算率が合理的であるかどうかについて考察を進めることとする。

(一)  成立に争のない甲第十六、十八、十九、二十二及び三十四号証、乙第一号証、同第二号証の一、二、同第三号証の一から九まで並びに証人上田克郎及び葉吹秀雄の各証言を総合すると次の事実が認められる。

日本政府は準備法に基いて在外公館等借入金評価審議会を設置し昭和二十六年四月六日借入金を表示する現地通貨の評価に関する事項について諮問を発した。この審議会は各現地通貨(現在流通していないものは通貨改革の変遷をたどつて現在流通している現地通貨に換算する。)を弁済期の為替相場によつて日本通貨に換算する方法が最も合理的であると考えたが、儲備銀行券、朝鮮銀行券その他現在流通していない現地通貨について不合理な結果を生ずるので、そのような現地通貨と現在流通している現地通貨との衡平をはかる目的をもつて、次善の方法として各現地通貨と日本通貨との購買力の比較に基いてその換算率を決定することとした。そして、それぞれの購買力を調査したが在外公館等が借り入れた各現地の事情が同一ではなく又物価指数等各種の資料を入手することも困難であつたので、審議会は各現地と日本とに共通な食糧である米の価格を基準として決定することとした。その方法としては在外公館等の借入の最盛時(華中華南については昭和二十一年二、三月)における現地の米の価格と同一時期の東京における米の価格とを比較することとし、東京における価格を四、闇価格は統制価格を六の割合により算出し、現地の価格は各地域における主要都市の米の価格をもつてその地域全体を代表させることとし、特に中華民国については華北と華中華南の一地域に分ち、後者すなわち華中華南の地域のそれは上海をもつてこれにあてることとし、かくてそれぞれ各地域における換算率を決定した。そして評価の基準時としては借入時期を選択したので、返済時期までの日本通貨の価値の変動を考慮して少くとも年五分の法定利息程度の割増を加算する希望事項を付して同年八月七日政府に答申した。そこで政府は換算率を答申どおりとし、返済時期までの法定利息相当の割増として三十パーセントを付し、返済の最高限度を五万円で打ち切ることとした実施法の法律案を国会に提出したところ、国会は関東州における借入金の換算率を満州と同一として返済額の最低限度を五百円に引き上げる点の修正を加えたほか原案どおり可決し、この法律は昭和二十七年三月三十一日公布と同時に施行された。

(二)  民法第四百三条は外国通貨をもつて債権額を指定したときは債務者が履行地における為替相場により日本通貨をもつて弁済をなすことを得る旨規定しているが、本件借入金には前記のとおりいずれも日本通貨をもつて返済する旨の特約があるから、外国通貨をもつ債権額を指定した金銭債務ではないのであつて、本件借入金には本条の規定を適用する余地がない。従つて、同条の適用があることを前提とした議論については、判断を下す必要がないわけである。

もとより、現地通貨と日本通貨との換算率を定めるに当つて、両者の間に為替相場がある場合には、同条の規定の適用とは別箇に、為替相場を基準とすることが妥当であるけれども、本件のごとく為替相場その他明確な相場がないときには別の基準によらざるを得ないのであつて、かような場合それぞれの通貨の購買力を比較して換算率を定めることは、合理的な方法であると考えられる。そして購買力の基準となるものとして実施法のように米の価格を採用したことは、米に対するし好が華中華南と我が国との間に多少差異がある点から見ても最も合理的であるとはいえないが、これを目して不合理と非難することは当を得ないというべきである。

原告らは米価を比較するとすれば、華中華南における借入最盛時の昭和二十一年二、三月頃の現地における米価と実施法による弁済時期の昭和二十七年三月三十一日当時の東京における米価とを比較すべきであると主張するが、この議論は原告らの借入金が実施法の適用を受けることが前提となるのであり、これに反して原告らは弁済期は遅くとも昭和二十一年十二月末日には到来したと主張しているのであるから、その間に矛盾があるので、この主張については敢て判断を加える必要もないのであろう。

(三)  ところで、換算率を定める米の価格の基準時としては、弁済期を採用するのが相当であろう。前記の認定によれば本件借入金の弁済期は昭和二十一年十二月末日ということになる。実施法はその基準時期を借入の最盛時、華中華南についていえば昭和二十一年二、三月にとり、弁済時期と定めた昭和二十七年三月末日までの法定利息に相当する金額としてこれに三十パーセントの割増を付して弁済金額を定めている。そうすると、実施法の定め方は、少くとも本件借入金に関する限り、当を得ていないということになるわけであるが、ひるがえつて、ここに定められた金額は昭和二十一年十二月末日における換算率として合理的なものであるとは考えられないであろうか。

(四)  この点に関しては、昭和二十一年二、三月当時の価格が同年十二月末日の価格に近いのであつて、いいかえれば三十パーセントの割増をしない実施法別表所定の換算率が妥当であるという議論が考えられる。しかしながら、まず実施法が華中華南の米の価格を算定するにあたつて上海における価格のみでこれを定めた点に疑問の余地がある。その理由は、証人高岡光男の証言によれば、華中華南における米の価格は地方において異つており、上海においては漢口よりも高価であつたことが認められるからである。次に東京における米の価格を統制価格四闇価格六の割合で算出したことも決して正確であるとはいえない。当時における東京の米の配給状況をかえりみれば、統制価格と闇価格とを以上の割合で算出した米の価格が日本円の現実の購買力を正確に反映したものとはとうていいい難いことは詳しく説明するまでもないであろう。これらの点をみれば、実施法別表の換算率は儲備銀行券に比して日本円の購買力を現実よりも高く評価し過ぎているということができるのであつて、以上の点を考慮に入れるならば、実施法別表の換算率に三十パーセントの割増を付したものが昭和二十一年十二月末日における換算率としてむしろ妥当であるといえるのではなかろうか。もとより、当裁判所はこれをもつて最も合理的な換算率であるという積りは毛頭ない。前記のごとく、決定の基礎となる資料が全く貧弱なのであるから、恐らく何人も客観的に合理的な換算率を定めることは不可能であろう。従つて、比較的により合理的であるものを選び、これをもつて満足する以外に途はないのである。原告の主張する七十倍調整料の送金方法を基準とする換算率ないし儲備銀行券四百円対日本円一円の換算率は終戦当時ないしその後一ケ月位の間妥当していたものに過ぎず昭和二十一年十二月末日当時の換算率としてその合理性を主張し得ないことは明白であろう。その他本件にあらわれた全資料によつても、さきに認定したものより以上に合理的な換算率はついに見出すことができないのである。

(五)  そこで、実施法別表によつて原告らからの借入金を日本通貨に換算し、同法第四条に基いてこの金額に百分の百三十をかけると、原告の藪田からの借入金は金十万八千三百三十三円(円位未満切捨)に、又原告武田からの借入金は金三万二千五百円となり、被告は同金額を原告らに対して支払わなければならないことになるわけである。

七、しかしながら、実施法第四条は「同一人について計算したその借入金の金額の合計額が五万円をこえるときは五万円」に制限しており、被告はこれに基いて原告藪田からの借入金は五万円までしか支払う義務がないと主張する。これに対して、原告藪田はこの制限規定は憲法違反であると抗争するので、最後にこの点につき判断する。

(一)  被告の本件借入金債務はさきに認定したとおり対等の当事者間に結ばれた純然たる私法上の消費貸借契約によつて生じた債務と解せられるから、契約の一方当事者である被告が具体的な返済額を決定する立場にあるとしても、その権限は換算率を決定する範囲にとどまり、この債務を一方的に滅額することは許されないというべきである。それ故、実施法第四条のうち借入金の返済額を五万円に制限した部分は、本件借入金その他借入当時から被告の債務であつた借入金に関する限り、財産権の不可侵を規定した憲法第二十九条第一項に違反する無効の法律であるといわなければならない。

審査会法第一条第二項は同法による借入金の確認を定義して「政府が現地通貨で表示された借入金を、法律の定めるところに従い、且つ、予算の範囲内において、将来返済すべき国の債務として承認すること」といつているが、すでに判断したように、本件借入金は被告の承認をまたず借入と同時に被告の債務として成立し被告がこれを返還する義務を負つていたのであるから、この規定も本件借入金に関する限り手続的な意義をもつに過ぎないのであつて、この規定を根拠として本件借入金の返済額を五万円に制限することが許されないことは明らかである。

(二)  被告は憲法第二十九条第二項の規定により実施法第四条の返済額の制限が合憲であると主張する。この規定は将来発生する権利についてその内容を公共の福祉に合致するよう規整することを許容するのみならず、公共の福祉のために既存の財産権に対しても制限を加えることを許すものと解せられるのであるが、同条第三項において私有財産を公共のために用いるには正当な補償をすることを要するものとしている点からみれば、法律により財産権を制限するためには原則としてそれによつて権利者が被つた損害の賠償を必要とするものといわなければならない。ところで、ここにいう補償は損害賠償の一種であつて、損害賠償は特約のない限り金銭をもつてその額を定めるから、金銭債権の制限に対する賠償という観念をいれる余地はないのであつて、この点からみて被告の負担する金銭債務を制限することは補償のない制限となるわけである。従つて、被告が本件借入金の返済額を制限したことは正当な補償なしに既存の財産権を制限したにほかならず、かような措置は憲法第二十九条第二項の規定によつても原則として許されないのである。もし、国家がこのような措置をとることが許される場合があるとすれば、それはこの種の制限をしなければ国家財政が完全に破たんし、又は国民経済を完全に破壌するに至る程度の強い公益的理由がある場合に限られると解するのが相当であり、しかも、それは国民の法の下における平等を害しない範囲において許されるに過ぎないのである。

成立に争のない甲第十七、十九、二十三及び二十五号証によると在外公館等借入金のうち、現地通貨表示の金額を実施法別表の換算率により日本通貨表示の金額に換算して百分の百三十をかけた金額が五万円をこえるものは、件数にして約二千三百件であり、金額にして約四億七千三百万円であることが認められる。従つて、この種の借入金を全額弁済するとしても、現在における国家財政及び国民経済の規模の下においては、これに与える影響は破壌的なほど大きいものとは認められない。

(三)  被告は戦時債務打切の措置との均衡を論じているけれども、本件借入金は今次大戦の遂行に直接関連して日本政府が負担した債務ではなく、戦争終了後在外公館員の生活費、在留邦人の引揚救済費等にあてるためにされた貸借から発生したものであつて、いわば終戦処理のために必要とされた借入金である。従つて、本件借入金に対して戦時債務に対する措置と同一の措置をとる必要は認められない。

(四)  次に、被告は本件借入金を支払うことは在外財産を持ち帰つたのと等しく、他の戦争犠牲者との負担の公平を失するというが、平和条約第十四条によつて日本国民が喪失した在外財産についても、被告がこれを補償することは望ましいことであるのみならず、日本国外及び旧海外領土において被告が負担した債務を弁済するについては何ら法律上の制約はないのである。旧海外領土又は旧占領地域からの引揚者は在外公館等借入金債権を有する者であつても、一般に内地に居住していた者に比較して戦争による被害が大きかつたのであるから、これと内地居住者とを比較して負担の公平を論議することは酷に失するといつても過言ではあるまい。さらに引揚者中在外公館等借入金債権を有する者とこれを有しない者とを均等化するためにその債権を制限するとすれば、このような措置は憲法第二十九条第二項によつても許されないものといわなければならず、両者の均衡はむしろ社会政策的立法によつて貧困な引揚者の救済手段を講ずることによつて保持すべきものであるから、この点に関する被告の主張は採用することができない。

(五)  さらに被告は在外公館等借入金が引き揚げた在外邦人の共益費用であつて被告が在外邦人の引揚費用を負担すべき根拠がないと主張するので、この点について考察する。

国民がその属する国家の敗戦のため旧海外領土又は旧占領地から引き揚げる場合に国家がその費用を負担する義務を負うかどうかを一般的抽象的に決することは困難であるけれども、敗戦の結果国民がその国民であるが故にこれらの地域で生命身体の危険にさらされている場合においては、少くとも被告がこれを保護する政治的道徳的義務を負うものと解するのが相当である。今次の敗戦の結果旧海外領土又は旧占領地から内地に引き揚げる国民を救済するために、日本政府が幾多の外交的、国内的措置を講じたことは公知の事実であつて、これらの措置は前記の政治的道徳的義務の履行としてされたものと考えられる。本件訓電もこの義務を果すために在外公館に対して借入その他適宜の措置によつて在外邦人の引揚救済を計るべきことを指令したものとみるのが妥当であろう。

被告は敗戦の結果自国民が占領地域から引き揚げる費用を元の占領国が負担するということは前例にもなく、国際慣行にもなく、中華民国国民政府がその責任において在留邦人の引揚を完了させる方針をとつたことを指摘しているが、仮にその主張のとおりであるとしても、このことと被告が在外邦人の引揚救済のために経費を支出することとはなんら矛盾するものではないのである。

八、以上の理由によれば、被告は原告藪田に対して金十万八千三百三十三円、原告武田に対して金三万二千五百円及び原告両名に対してそれぞれ同金員に対する弁済期の後である昭和二十二年一月一日から支払のすむまで年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があることになるわけであつて、原告らの本訴請求は以上の限度において正当であるから認容するが、その余は失当であるから棄却することとし、訴訟費用につき民事訴訟法第九十二条を適用して主文のとおり判決する。なお、この判決に仮執行の宣言を付することは不相当と認めるので、その申立を却下する。

(裁判官 古関敏正 田中盈 宮脇幸彦)

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